吉村一建設はこんな会社

吉村一建設 家づくりの原点

小学校の頃から大工になるのが夢でした。

実家がリフォームをする際に見た大工さんが今でも忘れられません。
ごつごつした手。
カーン、カーンと音をたてながら、釘を打つ姿。
弟子たちには決して見せないニコニコ顔で、私に微笑みかける笑顔。
私はこの大工さんが大好きでした。

幼い頃の夢もあって専門学校へ進学し、建築の全般を学びました。
その後、地域の小さな工務店に入社しました。

しかし、上司と折り合いが悪く半年後に退職。
この会社で出会った現場監督が、当時吉村建設(吉村一建設の前身)の吉村社長を紹介してくれました事がきっかけで吉村建設に入社しました。

入社後、事務所の2階に居候しながら、大きな野望も無く一生サラリーマンだと思っていました。 しかしその時、私にとって大きな転機が訪れたのです。

先代の吉村社長が癌で余命が少ないことを知らされ、会社を引き継いでくれと指名(使命)されたのです。

今思えば、先代は自分でやった方が早く済むような仕事を私によく頼みました。
そうして、何かあったら私が責任持つからと肩を押してくれました。

若干25歳の私に、支払い金額の交渉や督促を任せたのも自分の「死」を覚悟していたのかもしれません。

遊び盛りに他では経験できない仕事ができたのも、先代がいたからです。
先代がいたからこそ、今の自分があると断言できます。

吉村建設を引き継ぎ、30歳で社長に就任。
バブルで膨らんでいた借金は13億円。
多額の借金に、金額のイメージさえつかめませんでした。

当時の会社の年商は、8000万円。
2年で倒産すると腹をくくっていました。
とにかく、無心で営業にかけずりまわりました。

近所で建て売りの看板を目にすると、
すぐに電話をかけ私の所で仕事をさせてくださいと売り込みした。
結果的には、それが倒産の先送りとなりました。
そして、自社で土地を購入し、建て売りを始めたのです。

当時、私は先代の意思を継いだ経営しか考えられませんでした。

「どうしたら安く家が建てられるのか?」

そんな時、自分が営業していた分譲住宅が売れ残ってしまったので、その物件を購入することになりました。

今から ちょうど17年前のこと。
家族5人が、市営住宅から30坪の一軒家に移り住むことになりました。

入居1年後のある日、床のきしみなどの不具合に妻から、「お父さん、こんな家をつくってるの?」と言われ、恥ずかしくてたまりませんでした。

実際に住んでみて良くわかる家の居心地。
その時はじめて、私が建てた家に住むお客さんの気持ちが、身に染みてわかったのです。

そして、その住宅地に住んでいる人の心のうちを想い計るようになりました。
会社の存続に力を注ぐあまり、利益しか見えていませんでした。

大切なことに目がいっていなかった自分に恥ずかしくなりました。
そして、お客様の目線にたった家づくりをしようと強く心に誓ったのです。

現在「子育てママに優しい住宅の建築会社」として、地域No.1を目指しています。
より子育て環境に優しい家づくり、お子さんの成長をすくすくと見守れる家づくりを行っています。

私の経験と知識が、お客様の家族がいつまでも幸せに暮らせる家づくりで、お役に立つことが何よりも幸せです。

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